市場

 最新の IT 企業内とは思えない.展示会場はさながら市場のようだ.全体が四つの区画に分けられ,中央には広場がある.中央広場から四区画を仕切るように広い通路が伸びており,区画内には細い通路が入り組んでいた.

 周辺の四区画は手前から食品,調理,家電,食器に大別されていた.日本だとこういう会場は仮設のパネルで仕切られているものだが,ここではむしろ本物の市場を模した作りになっている.

 食品区画など,市場そのものだ.布の天蓋,木製の柱と展示台.展示台には色とりどりの野菜や果物が並んでいる.冷蔵ケースには魚介類や肉が見える.

 予想通り,調理区画が大人気である.三ツ星レストランがいくつか出店しており,白衣を着たシェフが順番待ちの客に出す食事を作っている.旨そうな匂いが漂っている.待ちきれない客は食品区画で購入した材料を調理区画で自分で調理して中央広場のテーブルで食べる,という流れが出来ていた.

 広場には丸天蓋のあるテーブルが置かれ,所々に樹木のポットが置いてある.屋内でありながら公園かテラス席のような雰囲気を醸し出している.子供を連れた若い男女が多かった.

 家電区画では中国と韓国が中央通路に近いスペースを陣取っていた.日本のメーカーは一つもなかった.日本の大手が自社製にこだわって出来の悪いアプリを作っている間に,中国と韓国はいち早く Alexa に対応し,Amazon のエコシステムに入る決断をした.その判断が今日の結果を生んだ.

 食器区画はさながらデパートのようだ.比較的高齢の男女が多い.よく見ると日本の陶磁器メーカーも出店している.それも大手ではなく,窯元が直接出店しているようだ.生き残りを賭けて今回の発表に参加したに違いない.

 今日,ここに集った企業は今後も生き残る可能性が高いだろう.Amazon 帝国と揶揄されはするだろうが,このエコシステムに入れた企業とそうでない企業とは,今後の運命が変わっていくに違いない.

調理区画

「カロリー制限にお悩みですか?スマートキッチンにお任せください」

 調理区画では Alexa に接続された様々な調理器具のデモが行われていた.まな板,フライパン,鍋,食器の一つ一つに至るまで重量計と無線が内蔵され,一人ひとりが食べた食事摂取量がリアルタイムで Alexa に送られる.誰がどの食器から食べたかはスマートカメラを通して Alexa が文字通り「見て」いる.

 シェフの手元を注視する.モノリスの上に肉を置くと,接した部分の輪郭が一瞬トレースされて光ったようだ.同時に計量が終わり,数値が表示される.

「Alexa, 五等分するカットラインを出して」

 シェフが指示を出す.スマートカメラに内蔵された光源から,四本の青色の直線が照射された.シェフが包丁を入れてカットする度に,切り分けられた肉それぞれの計量が行われ,数値が表示される.誤差はほとんどないようだ.シェフはそれぞれの肉を鉄板の上で焼き始める.

「ただ今召し上がったビーフステーキのたんぱく質は…」

 Alexa の声が来場者の試食した栄養素を告げている.調理区画を通り過ぎると,家電区画ではビルトインキッチンのデモが行われていた.

家電区画

 人気はまばらであった.家電は家庭内で最初にネットワークに接続された製品群で,数年前にブームは去っていた.しかし,だからこそ最も成熟した市場でもある.当初はネットワーク接続を前面に打ち出したデザインが多かったが,最近はシンプルなデザインへ回帰しつつある過渡期でもあった.

「失礼,ここはあまり仕事がなさそうだね」

 渡辺正樹は暇そうにしている女性スタッフの一人に何気なく声をかけた.ちょうどあくびを終えたところだった.肌の色は黒く,髪はウェーブしている.

「そうなの.調理区画が人気で,ここは誰も立ち寄らないのよ」

 アフリカ系女性はあっけらかんと答えた.しばらく製品について会話した後,さりげなく話題を変える.

「君の髪の色,素敵だね.ご両親はアフリカ系?」

「ありがとう.それはちょっと立ち入った話題ね.ちょうど後 5 分で休憩だから,場所を変えましょ」

 トリーシャ,と名乗った彼女は紙コップのコーヒーを一口飲み,テーブル越しにまじまじと渡辺の眼を覗き込んだ.

「20 年前,私の両親は渡米してきたのよ」

「ああ,それは大変だったんじゃない?今もお元気?」

「元気よ.ありがとう」

「そうなんだ.ところでそのネックレス,もしかして…」

 渡辺は話題を変えた.しばらく話し込み,連絡先を交換して別れた.

食器区画

 渡辺は食器区画に立ち寄った.ヨーロッパの高級食器ブランドらしく,絵皿には美しい絵柄があしらわれている.直子の好きなブランドだった.スタッフが話しかけてくる.

「いらっしゃいませ.お好みの器はございますか?」

 細身で薄いブロンド,緑色の瞳の女だった.ドイツ訛りの英語となると,オーストリアあたりか.

「ありがとう.姉の好きなブランドでね.ちょうど什器セットを探していたところなんだ」

 彼女の,とは言わずとっさに姉と言い換えた.

「それでしたら,こちらのシリーズはいかがでしょうか.今回のイベントのために開発されたシリーズで,イベント中のみの限定販売となっております」

 誘導がうまい.日本人の習性を熟知した宣伝だ.

「ふーん,これ日本の技適は通ってるのかな?」

 スタッフは皿を裏返して印字された QR コードをスキャナにかざした.その際,前かがみになる.胸元の開いたスーツだ.

「…今日現在ではまだですが,既に申請済みです」

 視線に気づかない様子でスタッフが顔を上げる.

「ところで,君の家にはスマートキッチンはあるの?」

 さり気なく話題を変える.マニキュアや装身具などを褒めて会話を楽しみ,連絡先を聞き出す.また会いたいな,と一言付け加えるのも忘れない.

逢瀬

「マサキ,あなたって最高」

 女は荒い息の中で呟いた.ベッドの中で渡辺はアフリカ人女性の肩を抱いていた.黒い肌の中に白い眼球が浮き上がり,黒い瞳がその中心で渡辺を見つめている.大きな瞳孔に吸い込まれそうになる.

 二人はイベントが終わると近くのレストランで待ち合わせて夕食を取り,どちらともなく渡辺の投宿している部屋に来た.シャワーを浴びる間も惜しんで抱き合う.トリーシャは情熱的な女だった.

「…あたしの両親はソマリアから逃げてきたの」

 初めて自身の由来を語った.1990 年台から続く内戦は 30 年たった今も終わる気配がなく,外務省はレベル 4 の避難勧告を変えていない.

「それは大変だったんだね」

「あたしはまだ小さかったから,よく覚えていないんだけどね」

 壮絶な過去があったに違いないが,トリーシャは淡々と語った.2000 年代は同時多発テロの余韻も残っており,難民申請は困難を極めた時期だったはずだ.

「ね,日本てどんな国なの?」

「うーん,一言で言うのは難しいけど,安全な檻の中というのが一番しっくり来るかな」

「意味わかんない,何それ?」

 言ってみて初めて,渡辺もその意味に気がついた.

「檻の中にいればライオンは入って来られないだろ?だけど檻の中から出るのも難しいってことさ」

「ふうん.安全で,清潔で,ハイテクの国だと思ってたけど案外不自由なのね」

「安全なのは間違いないね.でも不自由だ」

「あたしは自由がいいな.束縛されるのは嫌だ」

「僕だってそうさ.まあ,多くの日本人が極端に安全を目標にした結果,自分たちの自由まで手放してしまったんだと思う」

 渡辺は思わぬところで日本の国のあり方を知ることになった.しかも,日本人を収容した檻は沈みかけている…

「ね,もう一回しない?」

 トリーシャが身を乗り出してきた.

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