純正律と平均律

 趣味の話題になる.音楽はクラシックが好きである.イタリア・ルネサンス期のポリフォニー,室内楽ならバッハ以前のコレッリあたりがツボだ.

 FM で聴いて衝撃だったのがこれ.天から降ってくる音楽というのはこういうのを指すんだっていうくらいハマった.

 高校では合唱部,声楽をやっていたこともあった.声楽では芽が出なかったんだけど,響く声は出せるようになったかな.その先生いわく,倍音が重要だと言っていた.

 たとえばドの音の 1 オクターブ上のド,その上のソ,更にその上のミ.実際にピアノでその鍵盤を音を鳴らさずにそっと押し,最初のドのキーを叩くと弦が共鳴しているのが聞こえた.ただ,微妙なうなりも聞こえていた.

 今はそれが純正律の入口だったように思う.現代の音楽ではほぼ失われた音階だ.転調,移調を繰り返す曲に純正律は不向きで,今は平均律が主流である.

 平均律は,一言で言えば等比級数だ.1 オクターブを 12 等分して半音階ごとに周波数を 2 の 12 分の 1 乗だけ上げていく.完全な和音は作れない代わりに転調,移調が容易でそれなりの和音になる,妥協の産物.

音階 周波数比
20/12
ド# 21/12
22/12
レ# 23/12
24/12
ファ 25/12
ファ# 26/12
27/12
ソ# 28/12
29/12
ラ# 210/12
211/12
212/12

 音の正体は空気の振動で,要するに波である.音の高さは周波数で決まる.オーケストラなんかは全体の音程を合わせるのに 440 Hz のラの音を基本にしている.吹奏楽ではシのフラットが基準なんだそうだ.

 で,純正律ではこの基準音の周波数の整数倍を音階に割り当てている.ドの 2 倍が 1 オクターブ上のド,3 倍がその上のソ,4 倍が更にその上のド,5 倍がその上のミ,という具合だ.整数倍だからドミソの和音はそれぞれの音程の位相がぴったり合い,波長も実際に揃う.純正律の和音が人の聴覚に心地良く聴こえるのはそのためだと考えられている.

 g を 1 オクターブ下げると G になり,e’ を 2 オクターブ下げると E になる.周波数はそれぞれ 1/2 倍,1/4 倍になる.

 G と E を C と c の間に揃える.分数でわかりにくいが,周波数比は C:E:G = 4:5:6 になっている.

 人が美しい和音を聴いた時に,脳ではどのように処理がなされているのだろうか.最近では PET と呼ばれる脳血流をスキャンできる検査法がある.Blood, Zatorre, Bermudez, and Evans (1999) によると,

  • 傍辺縁系の海馬傍回・右楔前部の脳血流量は不協和度の増加と正に相関し,両側眼窩前頭皮質・梁下前帯状皮質・前頭極皮質の脳血流量は不協和度と負に相関する
  • 刺激に対する快さに関する評定値は内側梁下前帯状皮質・右眼窩前頭皮質の脳血流量と正に相関し,左後帯状皮質・右海馬傍回の脳血流量と負に相関する
  • 協和音および不協和音の刺激聴取時における両側上側回の脳血流量は,雑音聴取時におけるそれより大きい

 ことから,『両側上側回は感情的解釈に先立ち音楽の聴覚的分析を行っている』と推定している.

© Blood, Zatorre, Bermudez, and Evans (1999)

 Tramo, Cariani, Delgutte, and Braida (2001) ではネコの聴神経線維の神経細胞の発火間隔 (interspike interval; ISI) を測定する実験を行い,協和音程聴取時の ISI のピークは音程を構成する二つの音の音高,missing fundamental 等のハーモニーに関連する音高を反映する,としていて,調和性を感じるための神経生理学的基盤の存在を裏付けるものと考察している.人以外の動物にも和音を聞き分ける能力があるってことらしい.

 Ebeling (2008) によると,協和感と不協和感を説明するための数理モデルもあるらしい.

© Ebeling (2008)完全 5 度の自己相関関数
© Ebeling (2008) 短 2 度の自己相関関数

 純正律と PET で検索したけど,あまり論文がない.平均律と純正律で比較した RCT があれば面白いんだけどな.音楽家と一般人で群別したりとか.この分野,もっと追求すると面白そうだな.今回の記事の参考になった論文はこれ.聴覚的協和・不協和感の知覚に関する研究―楽音を用いた検討―

 ちょっと日本をディスる.上記の論文で言及されてるんだが,日本人は歴史的に音楽に対する耳を持たなかったらしい.長いが,引用する.

安土桃山時代に来日したポルトガルの宣教師 Luis Frois (1532-1597)は,その著書『ヨーロッパ文化と日本文化』 (1585) において,『われわれはオルガンに合わせて歌う時の協和音と調和を重んずる.日本人はそれを姦し (caxi maxi) と考え,一向に楽しまない』と述べている(ルイス・フロイス,1991).この日本音楽と西洋音楽の違いについて説明を補足すると,基本的に安土桃山時代の日本の音楽がモノフォニー(単旋律)の音楽であったことや,和声的音楽である雅楽においても西洋音楽では不協和音として取り扱われる音程が多く含まれていたことが理由であると考えられる(小野,2005).つまり,当時の日本人は彼らが聴いていた音楽には西洋音楽的な協和というものが存在しなかったため,西洋音楽を『一向に楽しまなかった』と言える.この傾向は幕末,明治時代に入っても同様であったことが内藤 (2005) でも次のように確認できる.エドワード・モース (1838-1925) は日本の音(労働歌や生活歌)に強い関心を持っていたが,日本の伝統音楽に対しては『和声がない』と簡単に受け入れることはできなかった.曰く,『外国人の立場からいうと,この国民は所謂「音楽に対する耳」を持っていないらしい.彼らの音楽は最も粗雑なもののように思われる.和声(ハーモニー)の無いことは確かである.彼らはすべて同音で歌う.彼らは音楽上の声音を持っていず (They have no voice) ,我国のバンジョーやギタアに僅か似た所のあるサミセンや,ビワに合わせて歌う時,奇怪きわまる軋り声や,うなり声を立てる』と,散々に否定している.また,日本人側からしても,西洋音楽に対する拒否反応があった.内藤 (2005) によれば,幕末当時きっての西洋通であった佐久間象山も,『西洋の音楽だけはまったく受け付けなかった』り,明治時代に入り,西洋音楽教育が進められた時代になっても『東京のある劇場で,劇中劇としてイタリアオペラが歌われたとき,観客に衝撃が走り,次いでプリマドンナの甲高い声に,聴衆の間から爆笑が起こったというバジル・ホール・チェンバレン (1850-1935) の証言もある』と述べられている.

 木と紙と土で作った建物と石やレンガで組み上げた建築とでは,音響に関する知見の蓄積が違うことも背景にあるだろうな.学校の階段の踊り場でハミングしたことはあるか?あの空間には階段の幅によって固有の共鳴する周波数というものがあって,共鳴が起こると聴感上の音量が上がる.石を積み上げて作られた天井の高い教会に響く残響が純正律を発達させたのだろうと推測している.

 在来軸組工法ではそのような共鳴は期待できない.もっとも,日本には地震が多くて石造りの建築は倒壊した時に危ないし,再建に手間がかかるという理由もあるだろう.地政学的なリスクが音楽の発展を阻害するだなんて,ちょっと考えつかないことではあるんだけど.


Search Earthquake Catalog (USGS)

 最近だとスティレ・アンティコあたりが上手らしいと聞いて CD を集め始めている.3 枚ほど買ってみたけど,まあハーモニーはハズレなし.曲が好きかどうか,だけだな.

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